夜々の星

  • 2014.02.02 Sunday
  • 15:28
≪淇園コラム vol.3≫ 

皆川淇園は儒学だけではなく、書や画もたしなんでいましたが、筝曲の作詞家としての顔もあったそうです。今回は皆川淇園の作詞した地歌筝曲を一曲ご紹介します。

夜々の星
作詞:皆川淇園、作曲:光崎検校

王櫛笥、ふたたび三度思ふこと、思ふがままに書きつけて、見すれど海女のかづきして、苅るてふ底のみるめにも、ふれぬをいたみ頼みにし。
筆にさへだに恥かしの、軒のしのぶに消えやすき、露の身にしもならまほし。
ならまく星の光りすら、絶えてあやなくなるまでも、八夜九夜と思ひあかし、雲井をながめすべをなみ。袖の雫に堰き入るる、硯の海に玉や沈めん。

好きな人に手紙を送ったのに返事がない。片思いの恥ずかしさと惨めさで、毎夜星を眺めて暮らしていたけど、そんなことではダメだ、と涙を硯に溜めて、その涙で墨をつくって、もう一度手紙を書こう、という女の子の心境を歌う。

キエン先生、こんな乙女心が描けるなんで、憎いですね。
You tubeでは演奏も聞けるので興味のある方は聞いてみてはいかがでしょう。

(M.K.)

≪淇園コラム≫では、皆川淇園にまつわるあれこれを不定期にお届けします。

≪淇園コラム vol.2≫

  • 2013.12.16 Monday
  • 16:11

≪淇園コラム vol.2≫

「智は独りを以てすれば即ち昏く、衆故を以てすれば即ち明なり。是を以て、古の聖人は其の衆と故とを総合して、之れを一にして以て『易』の知る所と為す。」(皆川淇園『名疇』巻二「智」)

淇園の聖人観を示す一文です。智は独りで生み出されるものではなく、民衆と先人の教えを一つにして生み出されるものである、ということでしょうか。天啓を受けた聖人が道を示すという聖人像ではなく、「万物の情を類」(同上、「序」)して智を生み出すのが聖人であるという淇園の思想を表しています。

(M.K)

≪淇園コラム≫では、皆川淇園にまつわるあれこれを不定期にお届けします。

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